いそ歯科医院の苦労時代

しかしそれからが磯家と宗平にとって地獄の日々のはじまりでした。茂雄は町医者でありながら研究熱心であったために最新鋭の診療機器をたくさん導入していました。そのためにかなりの借金をしていたのです。生きていた時はよかったのですが亡くなってからその借金が残された家族と宗平に重くのしかかってきたのです。

茂雄が亡くなってからというもの毎日、磯家には借金とりが来るようになりました。そして家族は追い出されるように前橋・横山町の診療所も家も手放し前橋を後にするしかなかったのです。

幸い前橋から東に10Kmほど離れた大胡に分院があったので、その近くの借家に入ることにしました。そしてその分院でとりあえず磯歯科医院として大川宗平が診療を始めることになりました。

宗平は手先が大変器用だったので入れ歯の仕事がうまく、それが評判になり段々と患者さんが増えていきました。宗平は茂雄に比べると体は強かったので多少の無理はしても平気でした。

それでも茂雄の借金を返したり茂雄の家族を養ったり、茂雄の子供だけでなく、茂雄の兄弟の学費も出さなければならず、それはそれは大変な毎日でした。

そんな中でも少しずつ貯蓄を増やしていって借家を何とか買いとって自分たちの家にすることが出来ました。

そのうち茂雄と同じ東京歯科医学院を卒業し歯科医師となった茂雄の弟、次男の淳二と三男誠三が手伝ってくれたのです。

しかし日中戦争が勃発し、淳二は歩兵隊へ、相撲部で体の大きかった誠三は砲兵隊へ、徴用されてしまったために宗平はまた一人で磯歯科医院をきりもりする事になってしまいました。

当時の東京歯科医学院
当時の東京歯科医学院
そのうち茂雄の長男譲二が成長し同じく東京歯科医専に入学しましたが、
太平洋戦争が激しくなり東京も連日の空襲のため学生たちは秋田に疎開せざるをえなくなりました。

そして譲二は疎開した秋田で終戦を迎えました。
その後、東京での授業が再開され、東京歯科医専を卒業して、国家試験に合格し、はれて郷里に帰ってきました。

幸い兵隊に徴用された淳二も誠三も無事帰国し、
ふたりもとも前橋市内にて歯科医院を開業することになりました。
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