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二代目 磯茂雄時代
兄弟の仲でも長男の茂雄は、
幼少の頃から優秀で前橋中学(現前橋高校)では一番の成績で級長を任ぜられるほどになりました。
そんなようですから在学中から東京帝国大学入学(現東京大学)を周りから渇望されていました。
しかし、前橋中学在学中に父、桂が亡くなってしまいました。
働き手を失った一家は路頭に迷い離散しかねない状況になってしまいました。
そのために長男である茂雄は早く世にでて家族を養っていかなければならない責務を感じ、大学をあきらめて早く手に職をつけることを考えました。
そのため父、桂と同じ歯科医師という道を進むことになり、
あの医聖野口英世を輩出した東京歯科医学院(現東京歯科大学)へ入り歯科医師になりました。
(左)二代目 磯茂雄(右)当時の磯茂雄診療室
前橋の横山町で診療を開始しました。
開業して間もなく2歳年下の共愛中学を卒業したばかりの同じクリスチャンである久保田マサを妻に迎えました。
そして長女洋子、長男譲二のふたりの子宝にも恵まれました。
腕もよく、また敬虔なクリスチャンだったために博愛の精神でどんな人にもやさしく接していたためか、医院は大変繁盛し、遠くは渋川からも馬に乗って患者さんが来ておりました。
また治療代が払えない人はお金の代わりにお米や野菜をもってきてくれました。
そして茂雄の磯歯科医医院は代診の先生を数人雇って分院を経営するほどになっていきました。
また医院を拡張させるだけでなく当時は最新機器であったレントゲン撮影装置や電気エンジンによる歯の切削器具を購入し、患者さんにとってよりよい治療を目指していました。
茂雄は経済的にも成功していき当時、まだ日本全国でもめずらしかった自動車、それもT型フォードを購入しました。
単なる道楽での購入でしたが、やがてそれが役に立つ日が来ました。
それは大正12年(1923年)9月1日に起こった関東大震災の時です。
(左)血脇守之助先生(右)野口英世と血脇先生
こんな状況の中、血脇先生をひとりで帰らすわけには行かないと茂雄は思いました。
そこで茂雄はT型フォードで血脇先生を東京まで送っていこうと思い立ちました。
しかし、茂雄は車の運転には自信がありましたが、腕力には自信がありませんでした。
そんな時に代診の大川宗平は若い頃はやんちゃで浅草あたりでは相当鳴らしていたということを思い出しました。
昔、浅草にいたなら東京の道にも詳しいだろうし、第一腕力が強いのならイザと言う時に頼りになると思ったのです。
そこで茂雄は宗平に一緒について来てくれる様に頼みました。
すると宗平は快諾してくれました。
そして血脇先生を茂雄と宗平の二人で送り届けることになりました。
そして道中、心配していたような事も起こらず血脇先生を無事、東京に送り自分たちも怪我一つなく無事、前橋に帰ってくることができました。
このことに血脇先生は大変感謝されていたそうです。
真偽のほどはわかりませんが「茂雄君の息子さんは自分の学校の入学試験は名前さえ書いてくれれば通してやるよ」と言っていたそうです。
このように茂雄は経済的にも磯家を建て直し、順風満帆と思えた矢先・・・
またしても磯家を大きな不幸が襲ったのです。
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